明治末期の地図「大阪北西部二万分の一」から見た西淀川
 明治末期の地図から西淀川を見ると、いくつかの集落が点在し、その周りはほとんどが田や畑である。大きな河川の流れも現在のそれとは大いに異なり、幾たびかの水害などを経て治水工事がなされ、現在の流れに至ったものと思われる。また、交通手段も現在のような幹線道路の整備は出来ておらず、旧街道を利用していた。すでにこの頃「阪神電鉄」の本線が現在と同じルートで営業していたが、駅(停留所)の場所や駅名は現在のものと異なっていた。また、現在のJR(旧国鉄)東海道線の「塚本」駅はまだこの頃存在しなかった。
 大 和 田  姫  島  佃  野 里・塚 本
       

 当時の地図に書かれている地図記号(符号)にも陸海軍の軍事施設など時代を思わせるものがある。
 
 主要な河川には必ず渡し船があり、人を乗せて渡すだけでなく馬を乗せて渡す舟もあった。